ライフデザイン建築研究所

コラム

師走


今年も12月と成りました。平成も来春で終わる。年号が変わると大きな時代が動くような気がします。昭和から平成に変わったときの記憶は、皆様も明確にご記憶のことと思います。
私も、工事現場が竣工し、竣工式をまじかに控えたときでした。昭和天皇のご容態が毎日テレビで放映されました。今日の血圧、脈拍等、天皇とはいえ人間です。プライバシーの無い死に疑問を感じました。
崩御され、昭和は終わりました。竣工式も中止となりました。
今回、期日を決め自然に天皇が変わる、良いことと思います。
まだ女性天皇の問題は残されていますが、少しずつ、解決策を見出すことが必要だと感じています。
弊社も10年という歳月を重ねてきました。
10年間何ができたのだろうかと、自問自答する毎日です。
一歩一歩、着実に歩みを続けていくこと、前進し続けること、そして来年は、大きな飛躍の年になるよう力を蓄えていきたいと思っています。 茂木聡

10年目を記念した旅


10月26.27.28日、会社を休ませていただき、研修旅行を行いました。
目的は、私自身の原点回帰にありました。
設計活動を行って約40年、百件以上の建築を造ってきました。その中で、私の設計思想に一番近い建築が、愛媛県宇和島市にある特別養護老人ホーム「あさひ苑」です。約12年前に竣工しています。定期的に訪問していますし、今年春の京都大学での講義でも取り上げた経緯があります。今回、竣工式においでになられ、今、福祉建築の世界で大活躍されてる、三浦研先生(京都大学大学院教授)、石井敏先生(東北工業大学大学院教授)両先生も参加され、弊社スタッフと交流しながらの旅をさせていただきました。
「あさひ苑」は以前にもこのコーナーで取り上げていますが、三浦先生、石井先生とも、わーと声をあげられたのが印象的でした。どう表現してよいかわからない、このよさを伝える方法がわからないと話されていました。建築と庭が一体となった空間は、訪れるものに人間とは、生物とはを教えられる空間として存在していました。
その後、高知県に入り隈健吾氏設計の図書館、ホテルを見学し、高知市に宿泊。
最終日は、私にとって、一番尊敬している故外山義先生(京都大学大学院教授)が始めて設計された小さな教会「土佐峰北キリスト教会」を訪問しました。ミサに参加し見学。事前に連絡していたこともあり、素晴らしい歓待を受けました。至福のときという表現がぴったり当てはまる時間でした。心が震える感覚があり、やっと訪れることができた幸せを感じました。
素晴らしい3日間を過ごし、三浦先生、石井先生とお別れしました。
両先生に大変感謝いたします。
これからも、もうひと頑張りしていきたい、良いものを作りたいという思いを強くした旅でした。 茂木聡

10年の歳月


今年10月で、弊社は10年目を迎えます。
昔、宇宙科学者の糸川英夫先生が、10年同じことをやれば十分、後はマンネリ化していくだけといわれていました。先生の名声は、日本の探査ロケット「いとかわ」に命名されているように、世界に誇る研究者でした。
省みて、弊社は10年を迎えるにあたり、どのような歩みをしてきたのか、反省しきりです。
最初の5年は、ただ闇雲に前進していたように思います。最近は、落ち着いたといえば聞こえは良いのですが、停滞気味にも思えます。
10月下旬の研修旅行は、京都大学三浦教授、東北工業大学石井教授と一緒のたびを企画しました。二泊三日で四国を廻る。
以前設計した愛媛県宇和島市に建つ「あさひ苑」の見学と、故京都大学教授外山先生が若い時代に設計した教会を見ることが中心です。
「あさひ苑」は、開所して昨年で10年でした。同じ時間をすごした建築を見て、初心に帰ること、そして外山先生の設計された教会に訪れて、自分の原点を見つめなおすこと。幸い、三浦先生、石井先生もご同行いただけるという幸運に恵まれました。新たな出発、新たな10年を、頑張って行きたいと考えています。  茂木聡

9月22日JIA秋田地域会主催、二ツ井道の駅見学会


道の駅は、能代市に在住し、全国で活躍されている西方氏の設計による、木造の建築です。構造設計は、弊社でも以前、国際教養大学図書館で一緒に仕事をした山田憲明氏。一部集成材は利用しているものの、一般に流通している木材を利用した簡潔な構造計画で大胆な空間を作り出しています。断熱は西方氏の得意なジャンルで、高性能住宅用サッシを採用し、コストダウンに成功しています。派手な建築ではありませんが、まじめで実直な西方氏らしい作品でした。見学者は、千葉、山形、宮城、岩手、青森そして秋田と広域から集まりました。休日であったこともあり、多数のお客様が集まり、道の駅というジャンルを超えて、遊び場としてのイメージも地域に根付きつつあるようです。おおらかな空間構成、理詰めでないデザイン、ゆっくり、過ごしやすい空間となっていました。JIAの活動は広く一般に建築設計という業務を広めること。
その意味からも見学した道に駅は、好感の持てる建築でした。  茂木聡

医療福祉施設先進施設視察会に参加して


8月17,18日と、医療福祉建築協会幹部会員有志による、2017日本医療福祉建築賞受賞作品及び、仙台市に新たに開設された複合福祉施設の視察に参加しました。総勢十名を超える人数と成りましたが、有意義な勉強会でした。17日は、岩手県大船渡に建設された特別養護老人ホーム「百年の里」。大船渡や仙台に施設を展開する大規模な社会福祉法人で、ユニットケア関連でも先駆的運営を行ってきたところです。ショートステイを含めて百名の定員。十字形を二つ繋いだ病院等で近年多く見られる平面計画。高さ制限10mに三階建てを計画し、天井を低く見せないよう、様々な工夫が随所の施されていて、苦労、努力のあとがわかる労作でした。設計者は初めて福祉施設を手がけた内藤氏。氏は以前、新居千秋事務所に勤務していたそうです。説明の中で、ユニットに関する考え方が少し誤解を持っている部分もありましたが、運営側はユニットケアに関しては精通しているため、問題はなかったようでした。
天上高さを確保するため、折れ曲がった形でダクトや梁をかわした構想力は、とても大胆で面白く見させてもらいました。ただ頑張りすぎた感もあり、見ていて息苦しさも。設計者は80%造りこみ、残り20%は運営者が造ると語った故外山先生の言葉を思い出しました。
18日は仙台市に新たに作られた「アンダンチ」。サービス付高齢者住宅、小規模多機能施設、保育園、就労支援施設、レストランを一箇所にまとめ、緩やかに分散させた計画。建築の質的には、前日視察した施設と比べると、かなり落ちる建物。しかし、運営者がまだ若く人間味があり、何故か空間全体に暖かさを与えている。サ高住はうまく運営されていくか心配なところもありますが、1階のコーナーに作った駄菓子やに、開店と同時に子ども達が集まってきた光景を見、楽しみが続く期待が持てました。レストランは、東京から誘致したとのこと。完全に地域のレストランとして機能していました。夜も遅くまで運営し、お酒も当然提供しているので、かなりの需要があるようです。事実、我々10人を超える団体が食事をしながら話し合いを行っていたら、入店できないお客様が、外で列を作っていました。早々に退去しましたが、なにかが起こる予感を感じさせます。まだまだ未完成ながら、先が楽しみな、福祉施設としては稀有な例でした。
近年、福祉施設を設計していると、様々な制約に悩まされ、消化不良を起こしてきた感のある私にとって、少し光を感じることができました。60点の設計はできるけれど、90点が取れないもどかしさ。今一度、過去に自分で設計した施設を見直し、時間の経過と変化を十分に検証する必要があるように思わされました。
茂木 聡

桂離宮を見る。


去る6月28日(木)京都に行き、初めて桂離宮を見ることができました。昔は往復はがきで申し込み、見学日も変更されるなど、遠くから行くものにとって、なかなか見学が難しい場所でしたが、数年前から当日枠が認められ、空いていれば見学可能と成りました。29日に京都大学で講演をすることになっていましたので、前日朝一便で伊丹空港に入り、そのまま桂離宮に。運よく午後の時間帯が空いていて、初めての見学と成りました。書籍等では、いろいろな知識を持ってはいましたが、本物は、まったくの別世界でした。約400年前にデザインされた庭園、建築。凄いという言葉しか出てきません。園路では飛び石が多用されていますが、石の大きさ、形、向き、厚さ、位置等が計算され尽くされたように微妙に変化し、人を導いていく、時に破綻しかけるデザインが見事に次のシーンを演出する。あまりの美しさに驚きました。現代でもそのまま通用する斬新なデザイン。前例がなく突然表れた桂離宮の美は、どのようにして生まれたのか。いまでは知る由もありません。しかし、日本という国の奥深さを感じました。宮殿もピロティーで支えられた軽快な雁行した平面。庭園のファジーな形態と、建築の直線美が見事に調和しています。ドイツ人のブルーノタウトが見学しその美しさに感嘆したことにより、日本国内で桂離宮が有名になったといわれていますが、それはあまりにも斬新なデザインゆえだと思わされます。当時のデザインとは明らかに異質なもの。現代でも真似のできるレベルでない空間に浸り、日本建築に酔った一日でした。
茂木 聡

時の流れ


建築は、完成してから時間が流れ出す。私が多く携わっている医療福祉の建築も同様です。先週、十数年前に設計した愛媛県宇和島市にある特別養護老人ホーム「あさひ苑」にうかがった。設計のコンセプトは、「消える建築」。意味は、建築が存在を主張するのではなく、建築に係る全ての人、植物、動物が主人公であるということ。建築は自然と同化することが一番だという思いからです。竣工してから訪れたのは4度目、その都度、時間の経過を感じることができます。設計当初、ものすごい荒地だった敷地、岩だらけの地面、昔は農地だったとのこと。四国、特に愛媛県は平地の少ない地域で、段畑という傾斜地を階段状に削って猫の額ほどの農地にジャガイモ等を植えている。そのような土地柄、敷地は珍しく平地に近い状態が保たれている。農地としては水はけが悪く、水位も高い。海も近いため、植えられる農作物は限定され、結果、荒地として残ったと思われます。設計にあたり極力自然の状態、つまり土地の形状、風景を残すことに努力しました。敷地は北側の海に向かって緩やかに傾斜、建築は傾斜を利用し、這うように建設しています。植栽は、東京の造園家で、地域の自然の植生を活かしながら、雑木林のような庭園を作ることで有名な、山本氏。私と彼は、設計の最初に大いに話し合い、お互いを尊重しながら設計を進めました。結果十数年の歳月を経て、当初の設計コンセプト「消える建築」が実現しました。詳細については、後日アップします。 茂木聡

平成30年5月1日という日


平成という年号が、あと一年で終わろうとしています。
私は昭和生まれ。来年の5月1日を迎えると、昭和、平成、〇〇と3っの元号を生きたことになります。昭和天皇が崩御され、平成が始まった時、私は30歳代前半、秋田に移住してきたばかりの頃。いまでも鮮明に覚えているのは、故小渕官房長官が「平成」を発表したテレビ画像。亡き父は大正生まれ、私と同様3っつめの元号を生きた。その当時、父に対して感じたことは、長い人生だと。今自分にも同じことが起ころうとしている、確実に年齢を重ねてきたことを痛感します。               私は本が好きで時間ができると本屋に顔を出します。本を見る、特に専門書を見ると自分の生きてきた時間の経過を感じます。昔は、年上の建築家達の本が並び、輝きを放っていた。いつか自分もという思い。今は、自分より年下の建築家が多数出現し、活躍している。そしてもう一つ、多くの知っている建築家達が亡くなっている事実。本というものがこれほど直線的に死ということを告げるとは、昔は想像できませんでした。                                  最近、私の大学院時代の2学年先輩が、本を出版されました。設計事務所を運営されながら、母校の教授として15年間教鞭をとられた。今年大学教授の定年を迎え、それを期に、自分の作品集を出版されたようです。                  私は大学生時代から現在まで、一貫して医療福祉の建築を研究し、設計してきました。今日という日を思う時、携わってきた多くの建築、研究をまとめることが自分の使命であるように感じています。幸い、多くの大学研究者の方々からもご協力いただけるお話をいただき、平成の最後の一年を設計活動をしながら、建築家の生き様としてまとめようと思うようになりました。散文的になるとは思いますが、本欄に1年をかけ時々ではありますが、投稿して行きたいと考えています。
  本ページは、その前書きとして。  茂木聡

ホームページの更新について


2018年4月から、ホームページの形式はそのままに、細部の内容を更新しました。今年度からは、より早く、詳しい情報を発信して行きたいと思っています。よろしくお願いいたします。

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