Column
コラム
私が建築設計を初めて手掛けたのは、東京都多摩にある、島田療育園(現島田療育センター)の改修工事でした。大学院を出たばかりの何もわからない中就職した会社は、医療、福祉を得意とする事務所で、オーナーは、日本初の重度心身障害者を扱う島田療育園を設計した人物でした。入社してすぐ、島田療育園の改修設計をせよとの指示。約半年間、毎日のように、施設に通いました。障がい者に対する偏見がすごい時代でしたが、自然に仕事が進められた記憶があります。いろいろ施設の方に教えていただきながら、何とか設計をこなしました。その後、数十年設計活動を行ってきましたが、島田療育園で学んだことは、忘れたことはありません。様々な機会に、人との出会いの大切さ、面白さを痛感することがあります。今回も、設計中の建物の施設長から、「島田療育園を設計したんだったね」と言われ、プリントと本を預かりました。「おばこ天使」藤原陽子著、と施設長ご自身が雑誌に書かれた「重症心身障害児の父・小林提樹」(長野・日赤・秋田)の写しでした。両書とも、島田療育園が舞台です。会議の前に突然お話しいただいたため、びっくりしたのと同時に、私の中で時間が遠い過去にさかのぼり、涙が出てしまいました。施設長の温かいお心遣いへの感謝と、また素晴らしい出会いがあったことへの嬉しさを思った瞬間でした。 茂木聡
大阪市で開催されている安藤忠雄展を見てきました。入場に際し、写真等の撮影はすべてOK。見学時間は1時間以内との規定がありました。建築展は通常それほど長時間見ていることが無いので、気にしていなかったのですが、模型や図面数の多さ、水の教会等を映像で体験できる演出が行われていて、かなり見ごたえがありました。気が付くと1時間が経過。土曜日ということもあり、見学者の数がすごい。さすが大阪出身の建築家だと再認識させられました。途中、安藤忠雄氏本人が来場、ぶらぶらと歩いている。ニュース等では病気で手術等を行いかなり大変な状況と思っていましたので、元気な姿にびっくりしました。展示空間は音楽と調和する画像演出もうまく、心に響きました。高層建築の多い周辺に安藤氏本人が設計した公的施設での展示。こじんまりとした空間が、かえって力を持つことを痛感。建築というものは、やはりすごいのだと、改めて考えさせられた時間でした。 茂木聡
2025年度の幕開けは、4月1日採用社員(中途採用)とのミーティングで始まりました。スタッフ一同が集まり、現在進行形の業務確認や内容説明。事務所の目指すもの等を皆で議論しました。物価高は建設工事費に、大きく影響を与えています。昨年度は、当初予算よりも工事発注額が大きく増えすぎ、銀行融資がダメになり、工事中止という経験もしました。これも踏まえ、設計中の物件の予算が心配であること、建築工事全体が急激に減っていることが話題に上りました。関東では大型物件が多数発注され、建設業も活況を呈しているかのように見えますが、足元が大きく揺らいでいることも事実です。米国統領がトランプ氏になったことにより、大幅な輸入関税の導入は、日本経済を直撃することが想定され、昨日は株価が1日で1,500円も下落しています。先が見えない中、会社をどうかじ取りするかは、難しい問題です。できるだけ新しい風をいれ、会社自体に活気を与えたいとの思いから、新規に社員を採用しました。新入社員が入ると、様々な提案もあり、私も刺激を受けます。まずは事務所が元気になることが一番大切だと思っています。そこから新しい一歩を踏み出せればと思います。 茂木聡
3月11日は、東日本大震災のあった日。東北に住む者にとって、忘れることのできない辛く苦しい思い出。震災被害に関して、厚生労働省からの依頼で、福祉施設の被害状況調査を行った。車で走って見えた光景は今でも鮮明に思い出す。どこまで走っても同じ景色が続く。何もない。
小高い丘に登ってあたりを見晴らすと、古い墓地があった。墓地は被害を受けてはいない。すぐ近くまで津波が押し寄せた痕跡は確認できたが、お墓は昔のまま無傷。地域に住んでいた人に聞くと、昔も洪水があってお墓を安全な場所に建てるようになったとのこと。歴史上たった100年余前にも同じような津波が襲っていることを知った。3.11で流された地区は、以前津波で被害をうけた場所とのこと。人間の学習能力の無さとおごりを痛感した。現在、3.11による被害跡地復興作業はほぼ終了した。海岸沿いには景観を無視した馬鹿高い防波堤。これが答えなのだろうか。
毎年考えさせられる。(茂木聡)
埼玉県の県道で、突然道路が陥没し、走っていたトラックが穴に落ちてしまった。救助しようとしているが、1月30日現在、まだ救助ができていない。周りの道路も陥没し、救助隊員が陥没した箇所に行けないためである。この救助は、空から行わないと無理と思われる。知事が自衛隊に依頼し、ヘリコプターで対応すべき物件と思う。無事救出されることを願う。
話の本筋は、事故が起きたからいうわけではないが、行政の怠慢は目に余るものがあるということ。寿命が20~30年程度と言われている地下下水道、すでに造られて60年ほど経っているという。陥没して道路下の土が流され、道路に穴が開いた。ニュースでは解説者がさも当然だと言わんばかりに一年間で同様の陥没は一万か所はあるという。造られたものは壊れる。形あるものは、必ず壊れる。自然の地形であっても、能登地震を見ればよくわかる。日本は地震国である。地中に埋設された部分は、一見地震の影響を受けないように見えるが、地震時には当然大きく動く。寿命及び地震等で壊れることは想定内の事。
秋田県秋田市で大雨による洪水が発生した。かなりの家屋が浸水し、数年たった今でも復旧ができていない家屋も多数ある。実際はそれほど多くの雨は降っていなかった。洪水に見舞われた地域は、田を開発し、水路を地中化した地域。本来地面への浸透と、水路で排水されるべきものが、舗装や水路が埋められてしまったこと、排水ポンプが機能しなかったこと等、行政の怠慢だったと言える内容だった。
建築は目に見えるため、老朽化がわかり、早い段階での対応はしやすい。しかし、箱物行政という言葉があるように、新しい物を造って、古いものはそのまま修繕費もかけない。
ヨーロッパの古い町並みが綺麗なのは、修繕が行われているから。
今一度、足元を見つめなおし、街づくりに邁進すべきと考えます。 茂木聡