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2022.11.28
もう年の瀬 外山義先生没20年を顧みて

今日は11月28日、今年もあと一か月。あっという間に過ぎた気がします。12月8日に東北工業大学大学院で講義。今回は、故京都大学教授外山義先生が亡くなって20年。この機会に、生前先生と一緒に仕事した時代を振り返る内容としました。時間的に言うと、やく30年前に戻ることに。資料を整理し、改めて読みなおすと、今でも新鮮な思い、刺激的な時期だったと思います。先生の思想は、今でも新しく、今だからこそ必要な思いかもしれません。老人施設のユニット化は、先生が亡くなった後、行政が引継ぎ制度化されました。ただ制度、基準には、心は入りません。形式だけが独り歩きし、そこに高齢者の悩みや苦しみは忘れられ、規則だから合わせればよいと言う思いが感じられます。20年前、私が書いた文章には、ユニットには限界があると明記していました。外山先生が当時悩まれていたことが私の言葉で出版されていました。忘れていた思いをひも解いて、初心に帰る。なぜユニットだったのか、ユニットケアなのか。議論はずいぶんされたのですが、気が付くと20年。今ユニットは、福祉にかかわる人間には当たり前のこと。生前、先生はユニットの制度化は、望んではいませんでした。それは、今の姿を想像できたからでしょう。ユニットは儲からない、スタッフの負担が大きい等さまざまな観点から論じられ、それが当然だという論調が多くを占めます。しかし、日本で初のユニット型施設を造ったときも、同じだった。でも、一番大きく違うことは、ユニット化全室個室を望んだのは、地域に住まう住民の総意だったこと。福祉施設を運営する多くの団体は、収益をもとめ、ユニット化を行います。しかし、形式では収益は増えません。制度ではなく、運営そのものを見直すことで、新しい道が見えてくるはず。20年前、やっと日本の高齢者福祉施設は大きな扉を開けた。今扉は無いけれど、また新しい扉を開ける時だと思います。その象徴が在宅ケア。過渡期をつないだものがユニットケアだったのだと、今思います。 茂木聡