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2016.3.11
3月11日を思う。

3.11 東日本大震災から5年がたちました。被災後現地を訪れた時の思いは、今も忘れられません。破壊、壊滅、どのような言葉を使っても表現できない姿。これが自然と言うものの脅威だと思わされました。人間の考えた防波堤や建築は、子供だましであることも。現地は復興真っ最中です。巨額の国の投資の元、再建が進められています。復興を援助することに反対はありません。しかし、現地で被災した姿を見、過去の津波や震災のことを聞くにつれ、果たして現在の復興しようとしている姿が正しいのか、考えさせられます。無理やりかさ上げした地盤が、これから何十年後、同じ災害を起こしてしまうのではないかと言う危惧、その時その時の最善の策と考えられた対策が、ことごとく壊された結果を考える時、現代の技術は違うと言い切れるのか。建築の設計に関わっていると、地震の度に強度はましていきますが、被害は続いています。軽度の地震であれば、確かに昔よりは強くなっていますが、強度(よく想定外といいますが、想定外は何を指すのか)が増しても、大きな地震が起これば、壊れている。最近の構造計算の考え方は、私にとってはおかしいと思えることも多々あります。理論上正しいのでしょうが、理論を越えるエネルギーにより壊滅的被害を受けた3.11をどのように考えれば良いのでしょうか。耐震、免震、様々語られています。しかし、もっと原点に返って、良い地盤に安定した構造を構築することが一番良いことではないでしょうか。これは、自然の摂理に迎合する構造となりえます。机上の理論は、おそらく、未来永劫改定され続けていくと思います。もう少し人間は、素直になるべきではないかと考えさせられます。 茂木 聡