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 コラム

2018.8.20

8月17,18日と、医療福祉建築協会幹部会員有志による、2017日本医療福祉建築賞受賞作品及び、仙台市に新たに開設された複合福祉施設の視察に参加しました。総勢十名を超える人数と成りましたが、有意義な勉強会でした。17日は、岩手県大船渡に建設された特別養護老人ホーム「百年の里」。大船渡や仙台に施設を展開する大規模な社会福祉法人で、ユニットケア関連でも先駆的運営を行ってきたところです。ショートステイを含めて百名の定員。十字形を二つ繋いだ病院等で近年多く見られる平面計画。高さ制限10mに三階建てを計画し、天井を低く見せないよう、様々な工夫が随所の施されていて、苦労、努力のあとがわかる労作でした。設計者は初めて福祉施設を手がけた内藤氏。氏は以前、新居千秋事務所に勤務していたそうです。説明の中で、ユニットに関する考え方が少し誤解を持っている部分もありましたが、運営側はユニットケアに関しては精通しているため、問題はなかったようでした。 天上高さを確保するため、折れ曲がった形でダクトや梁をかわした構想力は、とても大胆で面白く見させてもらいました。ただ頑張りすぎた感もあり、見ていて息苦しさも。設計者は80%造りこみ、残り20%は運営者が造ると語った故外山先生の言葉を思い出しました。 18日は仙台市に新たに作られた「アンダンチ」。サービス付高齢者住宅、小規模多機能施設、保育園、就労支援施設、レストランを一箇所にまとめ、緩やかに分散させた計画。建築の質的には、前日視察した施設と比べると、かなり落ちる建物。しかし、運営者がまだ若く人間味があり、何故か空間全体に暖かさを与えている。サ高住はうまく運営されていくか心配なところもありますが、1階のコーナーに作った駄菓子やに、開店と同時に子ども達が集まってきた光景を見、楽しみが続く期待が持てました。レストランは、東京から誘致したとのこと。完全に地域のレストランとして機能していました。夜も遅くまで運営し、お酒も当然提供しているので、かなりの需要があるようです。事実、我々10人を超える団体が食事をしながら話し合いを行っていたら、入店できないお客様が、外で列を作っていました。早々に退去しましたが、なにかが起こる予感を感じさせます。まだまだ未完成ながら、先が楽しみな、福祉施設としては稀有な例でした。 近年、福祉施設を設計していると、様々な制約に悩まされ、消化不良を起こしてきた感のある私にとって、少し光を感じることができました。60点の設計はできるけれど、90点が取れないもどかしさ。今一度、過去に自分で設計した施設を見直し、時間の経過と変化を十分に検証する必要があるように思わされました。 茂木 聡

2018.7.2

去る6月28日(木)京都に行き、初めて桂離宮を見ることができました。昔は往復はがきで申し込み、見学日も変更されるなど、遠くから行くものにとって、なかなか見学が難しい場所でしたが、数年前から当日枠が認められ、空いていれば見学可能と成りました。29日に京都大学で講演をすることになっていましたので、前日朝一便で伊丹空港に入り、そのまま桂離宮に。運よく午後の時間帯が空いていて、初めての見学と成りました。書籍等では、いろいろな知識を持ってはいましたが、本物は、まったくの別世界でした。約400年前にデザインされた庭園、建築。凄いという言葉しか出てきません。園路では飛び石が多用されていますが、石の大きさ、形、向き、厚さ、位置等が計算され尽くされたように微妙に変化し、人を導いていく、時に破綻しかけるデザインが見事に次のシーンを演出する。あまりの美しさに驚きました。現代でもそのまま通用する斬新なデザイン。前例がなく突然表れた桂離宮の美は、どのようにして生まれたのか。いまでは知る由もありません。しかし、日本という国の奥深さを感じました。宮殿もピロティーで支えられた軽快な雁行した平面。庭園のファジーな形態と、建築の直線美が見事に調和しています。ドイツ人のブルーノタウトが見学しその美しさに感嘆したことにより、日本国内で桂離宮が有名になったといわれていますが、それはあまりにも斬新なデザインゆえだと思わされます。当時のデザインとは明らかに異質なもの。現代でも真似のできるレベルでない空間に浸り、日本建築に酔った一日でした。 茂木 聡

2018.6.9

建築は、完成してから時間が流れ出す。私が多く携わっている医療福祉の建築も同様です。先週、十数年前に設計した愛媛県宇和島市にある特別養護老人ホーム「あさひ苑」にうかがった。設計のコンセプトは、「消える建築」。意味は、建築が存在を主張するのではなく、建築に係る全ての人、植物、動物が主人公であるということ。建築は自然と同化することが一番だという思いからです。竣工してから訪れたのは4度目、その都度、時間の経過を感じることができます。設計当初、ものすごい荒地だった敷地、岩だらけの地面、昔は農地だったとのこと。四国、特に愛媛県は平地の少ない地域で、段畑という傾斜地を階段状に削って猫の額ほどの農地にジャガイモ等を植えている。そのような土地柄、敷地は珍しく平地に近い状態が保たれている。農地としては水はけが悪く、水位も高い。海も近いため、植えられる農作物は限定され、結果、荒地として残ったと思われます。設計にあたり極力自然の状態、つまり土地の形状、風景を残すことに努力しました。敷地は北側の海に向かって緩やかに傾斜、建築は傾斜を利用し、這うように建設しています。植栽は、東京の造園家で、地域の自然の植生を活かしながら、雑木林のような庭園を作ることで有名な、山本氏。私と彼は、設計の最初に大いに話し合い、お互いを尊重しながら設計を進めました。結果十数年の歳月を経て、当初の設計コンセプト「消える建築」が実現しました。詳細については、後日アップします。 茂木聡

2018.5.1

平成という年号が、あと一年で終わろうとしています。
私は昭和生まれ。来年の5月1日を迎えると、昭和、平成、〇〇と3っの元号を生きたことになります。昭和天皇が崩御され、平成が始まった時、私は30歳代前半、秋田に移住してきたばかりの頃。いまでも鮮明に覚えているのは、故小渕官房長官が「平成」を発表したテレビ画像。亡き父は大正生まれ、私と同様3っつめの元号を生きた。その当時、父に対して感じたことは、長い人生だと。今自分にも同じことが起ころうとしている、確実に年齢を重ねてきたことを痛感します。
私は本が好きで時間ができると本屋に顔を出します。本を見る、特に専門書を見ると自分の生きてきた時間の経過を感じます。昔は、年上の建築家達の本が並び、輝きを放っていた。いつか自分もという思い。今は、自分より年下の建築家が多数出現し、活躍している。そしてもう一つ、多くの知っている建築家達が亡くなっている事実。本というものがこれほど直線的に死ということを告げるとは、昔は想像できませんでした。
最近、私の大学院時代の2学年先輩が、本を出版されました。設計事務所を運営されながら、母校の教授として15年間教鞭をとられた。今年大学教授の定年を迎え、それを期に、自分の作品集を出版されたようです。
私は大学生時代から現在まで、一貫して医療福祉の建築を研究し、設計してきました。今日という日を思う時、携わってきた多くの建築、研究をまとめることが自分の使命であるように感じています。幸い、多くの大学研究者の方々からもご協力いただけるお話をいただき、平成の最後の一年を設計活動をしながら、建築家の生き様としてまとめようと思うようになりました。散文的になるとは思いますが、本欄に1年をかけ時々ではありますが、投稿して行きたいと考えています。
本ページは、その前書きとして。  茂木聡

2018.4.19

2018年4月から、ホームページの形式はそのままに、細部の内容を更新しました。今年度からは、より早く、詳しい情報を発信して行きたいと思っています。よろしくお願いいたします。