Column
コラム
秋田市も最高気温が10度になるなど、春が近くに来ていることを感じる季節になってきました。町中は雪が消え、動植物が一斉に動き出す気配を感じます。夕方には白鳥がシベリアに帰る鳴き声も聞こえます。雪国にとっては待ち遠しい季節です。反面、地方都市にとって、新年度を迎え、社会減の時期となります。自然減も重なり、2月現在の秋田市人口は29万1千人、どこまで減っていくのか心配です。ちなみに秋田県人口は2月現在90万人を割り、89万9千人となっています。増える要素が無い事が寂しい限りです。私が専門的に多く手がける高齢者施設も、自然減の影響で、淘汰されようとしています。聞こえてくるニュースは、施設が老朽化し、改築したいが工事費高騰もあり、あきらめたという内容。また、施設の統廃合も始まっています。私が設計した施設もオーナーが変わったり、吸収合併されたりしています。
弊社は、以前から関東近郊での設計に活路を見出してきました。現在も宮城県や神奈川県で設計活動を行っています。益々難しい時代になってきたことを痛感します。(茂木 聡)
2026年は、秋田らしい雪景色で幕が開けました。
昨年は、年末まで熊被害が騒がれた年でした。 景気動向は、日銀発表によると「緩やかに回復している」とのこと。 建設業界大手は、順調に業績を伸ばしているようです。しかし、地方都市の建設会社は、運送費の高騰、人手不足他様々な要因により工事費が高止まりとなり、工事が受注できないというケースが増えています。 また、人口減少により公共工事も減って、不況に拍車をかけています。建築設計業界も同様です。
ライフデザイン建築研究所は、医療・福祉施設設計の経験を活かし、研究活動にも力を入れてきました。引き続き事務所のレベル向上のため、大学他と組んで積極的に研究活動を進めていきます。 また、設計コンペにも積極的に取り組んでいきたいと考えています。
今年は会社経営的には、とても難しい年になりそうです。立ち止まらず、前に進むことを大切にしていきたいと思います。 茂木聡
今年の熊による災害は、異常としか言いようがありません。弊社の本社がある秋田市の中央部、千秋公園は、秋田市が誇る市中心部に位置する城址公園。この公園に熊が出没して公園が閉鎖されている。隣接する劇場(ミルハス)、市立図書館や文化創造館は、秋田市の文化拠点として多数の市民が利用したり、観光客が訪れる場所です。出入口を減らしたり、自動ドアをやめて、手動にしたりとの対策を行っていますが、影響は計り知れない状況になっています。様々なイベントが中止や延期となりました。県知事は、自衛隊に援助を求め、国も対策に乗り出し始めたようです。しかし、全国的な世論はいまだ、大げさだという風潮があるようで、自衛隊は大げさだとか、熊を殺すのはかわいそうという論調も多数見受けられます。現実は、えさ不足と熊が繁殖しすぎて、人間の生活圏に入ってきたことによると考えます。昔は、熊は人間を見ると逃げ出したのですが、最近は人間を恐れなくなり、餌とさえ思っている感があります。「自然との共存」言葉は素晴らしいですが、現実には難しい問題を多数秘めています。秋田県の場合、人口減少により荒れ地が増えたこと、太陽光発電のため、山が大規模開発されたこと、陸上風力発電装置が多数建設され、森林が伐採されたこと等があげられます。そして、熊の繁殖力がすごい事への、適切な捕獲をしてこなかったこと等が重なった結果と思われます。熊が冬眠するのは、冬場餌が無いため。餌があれば冬眠はしなくなります。このままでは、市街地のごみ箱や、放置された畑等が餌の補給源となり、冬場も熊が多数市街地に出没する可能性があります。アーバンベアと言われる熊が、増えることは想像できます。農政大臣が新にフェンスの設置等の発言をしましたが、これは常識的に考えても不可能な話。頭数を押さえるしか方法は無いように考えます。 茂木聡
NHK教育テレビに、「こころの時代」という番組があります。
私が師事した故外山義先生(京都大学教授、当時52歳)が出演された番組を収録していましたが、VHSテープは再生する装置が無いので、業者に依頼。CDにデータ保存したものが、約2ヵ月かかって、昨日届きました。約20年ぶりに見直した番組、そこにいる外山先生の語り。私が40代のころ、先生と一緒に造っていた老人施設が舞台。心洗われる思いがしました。先生はこの番組を収録した年の11月急逝されます。番組は亡くなった後放映されました。当時、朝日新聞の一面にも訃報が掲載され、あわただしかった日々を思い出しました。海外では、追悼式典が開催されたとのニュースや、国内外から先生が携わった建築を見たいと訪問客が多く、その都度案内した記憶があります。顧みて、今、自分の設計は、先生の思いをどの程度理解し、引き継げたのか、考えさせられました。 茂木聡
私が建築設計を初めて手掛けたのは、東京都多摩にある、島田療育園(現島田療育センター)の改修工事でした。大学院を出たばかりの何もわからない中就職した会社は、医療、福祉を得意とする事務所で、オーナーは、日本初の重度心身障害者を扱う島田療育園を設計した人物でした。入社してすぐ、島田療育園の改修設計をせよとの指示。約半年間、毎日のように、施設に通いました。障がい者に対する偏見がすごい時代でしたが、自然に仕事が進められた記憶があります。いろいろ施設の方に教えていただきながら、何とか設計をこなしました。その後、数十年設計活動を行ってきましたが、島田療育園で学んだことは、忘れたことはありません。様々な機会に、人との出会いの大切さ、面白さを痛感することがあります。今回も、設計中の建物の施設長から、「島田療育園を設計したんだったね」と言われ、プリントと本を預かりました。「おばこ天使」藤原陽子著、と施設長ご自身が雑誌に書かれた「重症心身障害児の父・小林提樹」(長野・日赤・秋田)の写しでした。両書とも、島田療育園が舞台です。会議の前に突然お話しいただいたため、びっくりしたのと同時に、私の中で時間が遠い過去にさかのぼり、涙が出てしまいました。施設長の温かいお心遣いへの感謝と、また素晴らしい出会いがあったことへの嬉しさを思った瞬間でした。 茂木聡
