Column
コラム
5月の大型連休を利用し、韓国のソウルへ行ってきました。韓国へ訪れたのは、ライフデザイン建築研究所を設立する前、十数年ぶり。変貌ぶりに驚嘆しました。ホテルは以前同様、高級ホテルは、海外資本が中心で、ホテル事情は現在も同様でした。しかし、一般の建築群は、完全に現代建築に様変わり。私が訪れた場所の関係もあったでしょうが、どこの国にいるのか、帰国し写真を見ると、特に判断できないような状況でした。経済的に好転してきた韓国は、建築もインターナショナルスタイルで、昨年訪問した、上海と、どこが違うのか、判別がつかない感じでした。建築を設計する立場からすると、当然の結果と言えるでしょうが、外国人から見た場合、少し寂しさを感じました。これは、日本でも同じことが言えるのでしょう。日本国内を仕事で移動するたび、駅前のパターン化された姿に、むなしさを感じます。しかし、建築雑誌を見ると、確かに、どこの国に建っていてもおかしくない、デザインが主流となっています。今一度、建築をデザインする時、その地にあったデザインを心がけるべきと再認識しました。現在、日本建築学会東北支部作品賞選定委員をしていることもあり、来年の選定では、十分留意すべきと思いました。 茂木 聡
故京都大学教授 外山義先生。私は師が東北大学助教授時代から、老人福祉の建築設計及び研究に関わらせていただきました。先日、仙台にある外山先生のご自宅に、奥様、真理さんのご招待をいただき、うかがいました。東北工業大学教授石井先生、宮城女子学院大教授厳先生ご夫妻とも一緒でした。ご自宅の2階に師が30歳頃書いた外国の病院設計図面(手書きの原図)を拝見しました。現在でも通用する平面計画、デザイン、精密なスケッチ。30歳の作品とは思えない精巧なものでした。模型写真もあり、楽しく拝見しました。年代的に考えると、スウェーデン留学直前の作品かと思われます。後にスウェーデン王立工科大学に留学され、7年間、学位を取得され、日本に帰ってこられました。私は、秋田県鷹巣町(現北秋田市)に建設予定の「ケアタウンたかのす」の設計を行っていて、師に、様々ご教授いただき、同作品を完成することが出来ました。設計中は東北大学に勤務されいて、月1回は訪れたご自宅でした。考えてみると十数年ぶりの訪問でした。懐かしい空間、久々に緊張感と良い刺激を受けた時間でした。後に先生は、京都大学教授になられ52歳の若さで、他界されます。約8年間、月一度は打ち合わせさせていただき、様々なことを学ばせていただきました。今思えば、大変贅沢で、濃密な時間だったと思います。日々設計活動を行っていると、惰性で仕事をしてしうことがある自分に対し、とても新鮮で刺激を受けた1日でした。いつか先生の作品及び様々な業績をまとめ、発表する機会を作れればと考えて、帰路に着きました。 茂木聡
岩手県奥州市にサービス付高齢者住宅とデイサービスの起工式が、本日行われました。補助金の確定を待って、着工します。今回の施設は、地元企業が建設し、地元の福祉法人が運営するものです。弊社は、全体監修という立場で関わっています。実施設計等は施工会社が行う、デザインビルドの形をとっています。普段の設計体制とは違い、楽な面と難しい面があり、良い経験となります。より良い建築を目指し、最終打ち合わせを行っています。 茂木 聡
現在監修業務を行っている津市の精神病院から、電車で30分の場所に、伊勢神宮があります。建築設計の仕事をしていながら、出雲大社は見に行っていたのですが、伊勢神宮は行ったことがなく、今回、空いた時間を利用して見に行きました。神社と言うイメージとはかけ離れた、壮大な敷地とスケールに圧倒されました。20年に一度の遷宮は、技術の継承にあった理想的な考え方であり、目の前にある建築が大昔の建築そのままを継承したものであることに、大きな力を感じました。同時に、日本人が、欧米に比べ、建築を建て替える周期が短いことへも関係しているのかなという考えも浮かびます。木造建築とは何か、深く考える必要があることを改めて思いました。短い時間で廻ったこともあり、表面的な観光になってしまったことが残念で、いずれ、ゆっくり時間を作って再度訪問したいと思っています。 茂木聡
3.11 東日本大震災から5年がたちました。被災後現地を訪れた時の思いは、今も忘れられません。破壊、壊滅、どのような言葉を使っても表現できない姿。これが自然と言うものの脅威だと思わされました。人間の考えた防波堤や建築は、子供だましであることも。現地は復興真っ最中です。巨額の国の投資の元、再建が進められています。復興を援助することに反対はありません。しかし、現地で被災した姿を見、過去の津波や震災のことを聞くにつれ、果たして現在の復興しようとしている姿が正しいのか、考えさせられます。無理やりかさ上げした地盤が、これから何十年後、同じ災害を起こしてしまうのではないかと言う危惧、その時その時の最善の策と考えられた対策が、ことごとく壊された結果を考える時、現代の技術は違うと言い切れるのか。建築の設計に関わっていると、地震の度に強度はましていきますが、被害は続いています。軽度の地震であれば、確かに昔よりは強くなっていますが、強度(よく想定外といいますが、想定外は何を指すのか)が増しても、大きな地震が起これば、壊れている。最近の構造計算の考え方は、私にとってはおかしいと思えることも多々あります。理論上正しいのでしょうが、理論を越えるエネルギーにより壊滅的被害を受けた3.11をどのように考えれば良いのでしょうか。耐震、免震、様々語られています。しかし、もっと原点に返って、良い地盤に安定した構造を構築することが一番良いことではないでしょうか。これは、自然の摂理に迎合する構造となりえます。机上の理論は、おそらく、未来永劫改定され続けていくと思います。もう少し人間は、素直になるべきではないかと考えさせられます。 茂木 聡
